墓じまいをして先祖の遺骨を自宅保管にしたものの、「どこへ納骨すべきか?」で悩む人は多いです。
「今までのお墓では、お坊さんとの関係でとても苦労をしたから、次は民間の霊園でいい」
という声も、よく聞きます。
民営霊園なら、利用料で人件費はきちんとまかなわれているし、管理事務所へ何かを聞きたいときも、菓子折りなど持っていく気遣いも不要。
営業時間がハッキリしていて電話もかけやすいです。お寺のように、勇気をふるって電話をかけたのに「いま住職がいないので何もわかりません」と言われて二度手間になることもありません。
私は『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書)という本を書いています。
この本は、3・11東日本大震災の直後に、困窮している人々のために奔走した僧侶と、何もしないお寺との比較取材をしたもので、残念ながら、グルメガイドのように全国のお坊さんをランクづけした内容ではありません。
さまざまな年代の一般のかたに聞いた「お寺のイメージ」、「お坊さんとの(あまりよくない)体験談」と、一般市民があまりよくご存じない「いいお坊さんたちの活動」を取材し、双方比較しました。
こんなにいいお坊さんが大勢いらっしゃるのに、世間の人の印象はなぜ「お寺は権威ばかり」、「お寺はお金をたくさん取られるところ」、「法話もできないお坊さんばかり」といった失望にあふれているのかを、社会背景から推察し、まとめたものです。
この本に出てくる「いいお坊さん」に話を聞きてみたくても、お寺が遠方だったり、檀信徒向けの法話の場しかなかったりで、気軽にコンタクトをとれるかといえば難しいでしょう。
私の任意団体ひとなみで、私自身が取材したよいお寺を紹介していこうと考えたこともあります。
でも、私の見知っている「いいお坊さん」はほんのひと握り。
全国各地の僧侶研修にうかがってみると、それぞれの地域に、熱意のある真摯なお坊さまはいらっしゃることがわかりました。
そのお坊さまがたのお寺を1ヵ寺ずつ取材してご紹介できれば、もしかすると、ぐるなび的な「お寺の世界のガイド」になったのかもしれません。
しかし、たとえば私が研修講師としてお会いした若い副住職さんは熱意があって話もよく聞いてくださるかただったとしても、先代住職は檀信徒しか相手にしない主義で、檀家以外からの電話には応じない人かもしれない。
つまり、お寺じたいは「広く門戸を開いてはいない、あまり印象のよくないお寺」である可能性も十分にあるのです。
取材しますと申し出れば愛想よくしていただけるのでしょうから、一度足を運んで簡単なインタビュー取材をしただけでは、本当のところは知りようがありません。
お寺の場合、観光寺院は別として、多くは代々の檀信徒=上顧客、一般の参拝者は百円程度のお賽銭を投げ入れていくだけ=通りすがりという扱いだと思います。
檀家にならなければ、そのお寺さまの本当の姿を拝見することができないのです。つまり、グルメガイドのように一般客を装って潜入取材をする、ということができません。
参考情報として、ひとなみの座談会に常連で参加されているお坊さまのお寺は、こちらのリンク集の中ほどでご紹介するにとどめています。
じつは10年ほど前から、お寺ガイドと呼べるようなサイトがいくつかは存在していましたが、墓地の販売代理業者が墓地や納骨堂の情報をひとまとめにしたサイトや、ホームページを持たないお寺が登録すれば記載してもらえるようなサイトが多く、内情をきちんと取材したものはありませんでした。
そんななか、1つ1つのお寺を厳密に調査し、よいと認めるお寺だけを掲載したサイトが、数年前にスタートしました。
一般社団法人お寺の未来が運営する「まいてら」です。
「まいてら」には、つぎの10ヶ条におよぶ基準で厳選された全国のお寺が掲載されています。
掲載されているお寺に葬儀や法要を依頼することもできますし、法話会や写経、ヨガなど体験型のイベントを探して訪れることも可能。
ただ現在のところ、各地域の良いお寺が積極的・網羅的に掲載されているかというと、7万7千ヵ寺あるうちの100ヵ寺前後(2020年7月現在、掲載準備中含む)ですから、エリアによっては近くのお寺が掲載されていないということもあるのが現状です。
掲載件数は年数を追って増えてゆくのでしょうから、ゆくゆくは「お寺界のぐるなび」のようになるかもしれません。
破綻するおそれのない安定したお寺を社団法人が厳選してくれる、というのは市民にとって、たいへんありがたいことです。
ただ、文化庁が毎年度の財務諸表を提出しなければならないと求めているのは、現在のところ、「年度の収入が8千万円超の寺院」だけなのです。
そのため、収益事業を行っていないお寺は従来、財務諸表など作成していないことが多く、黒字であることを証明しなければ、登録してもらえません。
私の知人僧侶の中にも、「まいてらの説明会には行ってみたけれど、住職が財務諸表をつくっていないからダメそうだ」と断念したかたがいらっしゃいました(ご自身は副住職)。
ネットでの人生相談にも熱心に乗っておられ、他の条項は、私が墨を付けて推したいほど満たしているかたです。このお寺が「まいてら」に掲載されるようになるのはおそらく、何年か後にその副住職が住職を引き継いだあと、ということになるでしょう。
このような背景から、「まいてら」がお寺世界のぐるなびくらいに全国各地のお寺を網羅できるようになるには、まだしばらく時間がかかりそうです。
また、「まいてら」に掲載されていなくても、いいお坊さんはたくさんいらっしゃるということでもあります。
レストランの世界で「ぐるなびに載っていない」となると、会合などに使うのはためらってしまうでしょう。
でもお寺の世界では、以上のような事情から、ぐるなびほど確固たるガイドが完成されていないので、行きつけの寺院を見つけるためには、それなりの努力がいるのです。
これについては別途、〝マイ行きつけ寺院の見つけかた〟というブログでご紹介したいと思います。
「お寺はドンブリ勘定だし、どれほど儲けているかわからない」
確固たる証拠もなしに、このように言う人はけっこう多いです。
しかし、ご住職がお金の話ばかりすると、それはそれで引いてしまう檀信徒が多いのも現実。
世間のお寺に対するイメージのなかには、このような大きな矛盾が存在します。
責任役員に企業の経営経験者などがいらっしゃれば、「いまどき帳簿もつけないのは不明朗だ」と指摘しされるかもしれません。
いっぽうで、「税務署から、収入については非課税だから記帳しなくてもいい、と指導された」というご住職もいらっしゃいます。
もちろんそれは何十年も前の指導なのかもしれませんが、お寺の世界は変化が少ない現状があるので、一度そう聞いてしまうと、半世紀以上もずっとそのままになる傾向が強いのです。
宗教法人は、収支計算を明確にすべきなのか否か。
これについても、両極の中道を探る必要があると思います。
一般企業ほど儲けに執着してはならないけれども、突然の修理等に耐えられるよう蓄財はしてほしい。
さらにいえば、ご住職は宗教活動に専心すべきなので、檀信徒や市民が情報提供したり、手を貸したりしてゆくことも大切。
「まいてら」運営母体の一般社団法人 お寺の未来の代表理事 井出悦郎さんは、こうおっしゃっています。
文化庁としても「(年間売上が8000万円以下の宗教法人は)当分の間、収支計算書を作成しないことができます」と言っているだけで、収支計算書を作らないことを奨励しているわけではないので、寺院の継続性という観点からまいてら登録を機に、収支計算書の作成に取り組んでいただいています。一般社団法人 お寺の未来 代表理事 井出悦郎さんのお話
そうはいっても、お寺のご住職は一般企業での勤務経験がないかたも多いので、帳簿をつけるどころか、見たこともないというかたも少なくありません。
個人的にも、ご住職みずからが通帳や会計帳簿とにらめっこしているところは見たくないですし、お金のことに無頓着なぐらいのほうが、宗教者としては信頼できるとも思えます。
理想的なのは、
「お寺が計算書類もなくドンブリ勘定のままでは、信頼されなくなってしまう」
ということを私たち市民が申し出るとともに、記帳経験のある檀信徒が責任役員などに立候補し、お寺の記帳も手伝うことです(責任役員は毎年度、住職の給与を責任役員会で議決するので、本来は、数字を見られて当然の役職です)。
そうはいっても現実には、責任役員会が形骸化しているお寺も多く、市民もそれぞれに多忙で、昔のようにお寺のことに月に一度程度時間を割いてくれるわけでもありません。
「寺とお金の中道」をいくには、大きく分けて、①宗教者以外の人が会計事務を受け持つ方法と、②事務処理を機械化する方法の2つがあると思います。
お寺のことに時間を割いてくれる檀信徒が見つからないなら、②を検討するのがよいでしょう。
「クラウド会計」を利用すれば、インターネットで記録を見られる金融機関の取引を連携することで、記帳を自動化することができます。
自動記帳なら、ご住職が数字を逐一見ることもなく、「おカネのことばかり気にしている」ということにはならずにすみます。
お寺を大事にしたい気持ちがあるのであれば、「お寺はドンブリ勘定で、いい加減だ」と言い放つだけではダメ。
このように、さまざまな方法が考えられます。
皆さまからも、さらにアイデアやご提案、事例のご紹介があれば、随時動画にしてご紹介させていただきますので、メールフォームからのご意見をお待ちしております。