どんなに法的に問題のない遺言を自筆証書で作成しても、相続人の誰かが「当時、被相続人はすでに認知症だったはずだ」などと言い出せば、調停や審判に発展しかねません。
また自筆証書遺言を作成されるかたの多くは、何度も書き直しをされています。
自筆証書遺言は費用もかからず、便せんやレポート用紙にも書くことができる容易な方法であるため、思い立ったときに何度もやり直しがきくからです。
言及されている個々の遺産について、日付の新しいほうが有効となる、ということが法定されています。
ですから、何通の遺言が出てきたとしても、日付をみれば、最終的に被相続人がどうしてほしかったのかということは、法的に決着をつけることは可能なはず。
しかし、複数出てきた遺言のうち、いずれかが自分にとって不利になる相続人がいると、日付が遅いほうの遺言について、被相続人の判断能力などを理由に無効を主張することが考えられます。
そして自筆証書遺言最大の難点は、いざ相続が発生してその遺言を活用しようというときに、家庭裁判所への「検認」という作業が必要になることです。
検認の申請時には、被相続人の一生分の戸籍を収集し(被相続人に子がなく、きょうだいのみが法定相続人となる場合は、異父母きょうだいの有無を確認するため、両親の生まれてから亡くなるまでの戸籍も必要)、すべての相続人の続き柄や生年月日を記した「相続関係説明図」を作成しなければなりません。
この作業を士業に依頼するとなると、1通あたり3000円(弊事務所の場合)+役所手数料(2023年3月現在、過去の戸籍については1通750円)がかかります。お子さんがいらっしゃらないかたの場合は両親の戸籍の遡るため、戸籍収集だけで士業報酬が20万円前後になってしまうことも珍しくありません。
数年前から、自筆証書遺言を法務局内の預託所へ預ける制度ができています。
この預託制度を利用すれば「検認が不要になる」ということで、制度開始当初は期待を集めました。
しかし、法律の専門家が多数勤務している法務局で預かってくれるというのに、遺言の内容の有効性については一切相談に乗ってもらえないのです。
また、「預金通帳はコピーを添付すれば済む」、不動産についても「登記情報を取得して添付すれば済む」とのことで、遺言本体に口座番号や登記情報の内容を写して誤記してしまう心配もなく、リーズナブルな制度ではあります。
しかし、添付する通帳のコピーにも署名押印をしなければならないとか、遺言本体の用紙サイズはA4で、余白は何ミリ以上などと細かく指定されており、高齢のかたが、預託するための要件を完璧に満たした遺言を容易に作成できるとは思えない内容になっていました。
さらには、預託制度を利用して遺言を預けていたかたが亡くなった場合。たしかに検認は必要なく、家庭裁判所へ出向く必要はないのですが、「証明書」を発行してもらうためには自身が相続人であることを証明しなければならず、けっきょく被相続人の一生分の戸籍を持参しなければならない点は、同じであるとの報告が出ています(2023年春現在)。
公正証書遺言を作成するとなると、公証人の手数料と証人の日当、士業に間に入ってもらう場合は士業の報酬などもかかります。これらを合計すると、遺産規模が数百万円であっても、作成には十万円前後~十数万円かかります。
公証人は、裁判官や検事の経歴をもつかたが多く、法的に間違いのない内容の遺言文案を作成してくれます。
しかし、内容についてのアドバイスはしてくれませんので、遺留分を侵害している内容であっても、遺言者が希望したとおりの内容で文案を作成します。
士業を間に入れた場合は、「こういう遺言にしてもらいたい」ということを何時間も聴き取りしたうえで、遺留分などの争いが将来起こらないようにするための説明なども行います(士業者によりますが、遺言相続を専門分野としている人の多くは、してくれると思います)。
さらに、公証人の誤解がないよう、遺言者の要望を法律用語に置き換えて素案を作成し、公証人との間で何度かやりとりをして、依頼人の希望が活かされる内容の遺言をまとめあげます。
つまり、間に入る士業は、一般用語と法律用語の通訳のような役割と思っていただければよいと思います。
そのうえ、いざ相続が発生したときには、被相続人の一生分の戸籍をたどる必要もなく、死亡を確認できる最後の戸籍だけで、銀行の預金口座解約や、不動産の名義変更登記といった手続きを進めることができます。
これは、大きな節約になります。
ご本人に資産が潤沢にあったり、同居のお子さまなどが無償で銀行口座の解約や不動産の名義変更登記、ライフラインの名義変更登記などをしてくださる場合は、公正証書遺言を作成するまでもないかもしれません。
しかし、おひとりさまや老老世帯となっていて、同居のかたも容易にそうした手続きをできないと思われるケースでは、甥姪やいとこ、知人などにこうした〝死後事務〟を依頼する必要があるでしょう。生前から、お願いしてある人もいらっしゃるかもしれません。
このような場合、預金が数百万円しかないのに公正証書遺言も作成していないと、死後事務をお願いした人に遺産を遺すことができなくなったり、赤字になって費用負担をかけてしまったりすることも考えられます。
多くの場合、相続手続きを士業に外注すれば50万円~100万円(戸籍収集、相続関係説明図の作成、名義変更登記など)、遺品整理に50万円~100万円かかります。公正証書遺言を作成し、死後事務をお願いする当人を「執行者」として遺言の中で指名しておけば、士業に外注しなくても相続手続きを進められる場合もあります(もちろん、依頼された人の知識などにもよりますが)。
遺言の作成じたいが「争いを避けるための予防策」であり、「迷惑をかけないための目的」であるならば、将来の相続発生時の費用と手間を大幅に削減できる、公正証書遺言にしておくことがもっとも望ましいのです。
信託銀行等の「遺言信託」では、たいてい銀行定時のひな形通りの内容にしかならないにもかかわらず、100万円前後の手数料がかかります。
資産家のかたは、信頼重視で個人の士業者よりも信託銀行での遺言信託を選択されるのがよい場合もあるでしょう。
これと比較して、個人の士業者に依頼して公正証書遺言を作成するのは、まさに遺産が数百万円~数千万円までのかたに向いている方法であるといえます。