回答者全員がお坊さんの相談サイトhasunohaで、過去ずばぬけて最多の6000以上という「有り難し」(一般的なSNSでの「いいね」にあたります)を獲得した問答があります。
それは、「アイドル育成ソシャゲに課金をしてしまう」と相談した女性に、「私は艦これをやめました。」で始まる大慈僧侶からの回答でした。
ご本人は課金をされたことはないそうなのですが、ゲームには「良いゲームとよくないゲームがある」と述べ、制作会社がプレイヤーに何を提供しようとしているのか、本質を見抜くようアドバイスされています。
《こちらのhasunohaの問答からの引用です》
結果、相談者のかたは……
これ、ちゃんと仏教の教えが伝わってますよね!
それもそのはず。大慈さんはタイの上座部仏教でも修行歴のある、筋金入りの仏教僧侶。
私たちの多くが思い浮かべる、お葬式と法事の読経だけしているお坊さんではないんです。
じつはOkeiも、ネットゲームの住人になっている時期があります。
☑ネットゲームの中でどんな人々と出会ってきたのか?
☑〝廃課金〟と呼ばれる人はいったいどんな人たちなのか。
☑代表作のあの本の取材が、なんのゲームの中で行われていた……etc. の秘話は、こちらの動画↓でどうぞ。
ネットゲームにハマる人の大半は、気を使い過ぎて一般社会で疲れ果ててしまった人のように感じています(自分を含め)。
じつは世間で〝廃課金〟と呼ばれる、月に数十万円以上もゲームの課金に使ってしまう人たちの中も、必ずしもいい加減な人ばかりではなく、良識的で論理的に物事を語ってくれる人もたくさんいます(具体例はさきほどの動画でお話ししています)。
ゲーム世界の住人になる人の大半は、もともとは気配りや思いやりの量が多く、それがゆえに実社会の人間関係に疲れ、ほんの息抜きのつもりで逃げ込んだゲーム世界で、誰かを思いやり、言葉をかけ、チームの中での役割を見出してゆくうちに、抜けられなくなっている人たちです。
つまり、現実社会でがんばったのに報われず、あるいはがんばりすぎてへし折れ、もしかすると鬱になる代わりに、一歩手前でゲーム世界へ逃げ込んで、その中ではその人らしい気づかいや努力、協調性が裏切られることなく報われるので、居ついているとも思えます。
そこは、中世の駈込寺のような聖域(アジール)だともいえるのです。
私は川越の喜多院というお寺が好きでしばしば行きます。
このお寺には、中世のさまざまな職人の姿を描いた「職人尽図屏風」があります(狩野吉信によるもの。通常時に見られるのはレプリカです)。
扇師、傘師、糸師、筆師、数珠師、研師……などなど、25の職業が描かれています。
みんな、薄暗い部屋の中で、師匠と数人の職人で朝から夕まで、ほとんど私語もかわさずコツコツ、黙々とものづくりに励んでいたんだろうなぁと想像できる屏風絵です。
日本人の何割かは、そもそも〝ひきこもりオタク〟がデフォルトだったんだ!
この屏風絵を見たとき、私はそう直感しました。
脳科学者の中野信子氏は、著書『努力不要論』はじめ対談などでも、日本人は遺伝的にセロトニン・トランスポーターが少ない人の割合が世界的にみても非常に高いと語っています。セロトニンは楽天的になる脳内物質だということは想像しやすいと思います。それを運ぶ物質が少ないので、日本人は不安になりやすかったり、周囲からどう見られるかを気にしすぎるタイプの人が多かったり、またひきこもりにもなりやすいのだということがいえます。
そうなった理由は、災害大国で、たえず防災や予防のことを考えていなければいけなかったからだとか、島国だからとか、いろいろあるでしょう。
いずれにしても、ひきこもりオタクたちが新しく実装されたゲームのWikipediaをつくりあげる緻密さと速度はものすごい仕事効率です。
このパワーを活用できていないことが、日本経済の低迷につながっていると私には感じられてなりません。