昨今は臨床宗教、実践宗教という言葉も使われるようになり、人が亡くなってから駆けつけるのではなく、生老病の苦しみにある方のためにも活動しようという動きが宗教者の間で隆盛です。
しかし、心あるお坊さんがたから頻繁に耳にする言葉があります。
被災地のおじいちゃんおばあちゃんの話は聞けるのに、檀家のおじいちゃんおばあちゃんの悩みをほとんど聞けていない。(もっと気軽に話しかけてほしいのに)どうしてだろう?
いっぽう、檀信徒側の思いは、こんな感じでしょう。
和尚さんにはなるだけ、温厚でトラブルとは無縁の家庭だと思われたい
ご近所の目があって、菩提寺に頻繁に相談になど、行かれない
死んだあとまで読経してくれる人に、夫婦間トラブルがあったなんて話したくない
お墓のあるお寺の和尚さんに相談すれば、親戚一同が知り合いなので、いずれ誰かにバレてしまう
このように、言いたいことが自由には言えない関係なのです。
「そんなことは気にしなくていいから」といかにお寺側がアピールしたところで、この関係は崩れません。
ですから私は、こんなふうに提案します。
病院だって、死にいたるような病気のときは、手術や精密検査のできる大病院の世話になるかもしれませんが、日常的には町のかかりつけ医とつきあっています。町医者から大病院へは紹介状というものでつながっていて、お互い患者を取ったの取られたのと恨みあう関係ではありません。
お寺も同じこと。
死んだあとで入るお寺(お墓のあるお寺)と、日常的に催しに参加したり、人生相談をしたりするお寺は、違っていてもいい。頼れるお寺が複数あっていいと思います。
お寺さま側もどうか、「ウチの檀家がよその寺の坐禅会に出ているらしい! まもなく離檀するつもりなのでは?」などと懸念なさらないでください。
加えて、会員制倶楽部を愛するような一部のお金持ちを除いて、多くの日本人は「囲い込まれること」がとても苦手です。
お寺が名づけ親であり、寺子屋であり、仲人であり、職業紹介所であり、集会所でもあった中世の頃。檀信徒関係は、囲い込まれるものではありませんでした。村の者たちが「みな所属しているから」ウチも所属しているのであって、会費などで特別に囲い込まれた関係ではなかったと思います。
しかし戦後、サラリーマンが主流の社会になると、人々の帰属先は、住んでいる町から企業へと変化しました。
さらに平成に入ると、農家や町の小売店といった自営業者がどんどん減り、酒店も文房具店も大手資本チェーンの傘下へ吸収されていきました。
そして、「親子で同じ仕事をしているのは、お寺と中小の葬祭業者と石材店くらい」になってしまったのです。
檀家は、車で40~50分以上も離れたところに点々と離散してゆきました。
気づけば、人が亡くなる場所も、自宅から病院へと様変わりし(1970年代半ばを境に、自宅で亡くなる人よりも病院で亡くなる人の数が多くなりました)、葬儀の主導権は寺から葬儀社へとバトンタッチされ、全国各地に葬祭ホールが建って、お寺が葬儀の主体ではなくなっていました。
結果として、都市部の多くのお寺では、檀信徒と寺をつないでいるのは「年間管理費」と「回忌法要のお布施」という金銭価値だけになってしまいました。
自由意思による志(ご喜捨)、お布施、寄附ではなく、慣習等で決められた財(=会費)中心で成り立つ宗教法人は、貧富の差や出自に関係なく、あらゆる人を“分け隔てなく救済する”という伝統宗教の良さを失っていきます。
これは、いわゆるカルト教団等が、
ここにいるあなたがただけが救われます、
あなたがたは何もしなくても幸せです。なぜなら、ここにいない人びとが自然と地獄に堕ちてゆくからです
などと力説するのを思い浮かべれば、容易にご理解いただけると思います。
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寺檀関係はネジレの構造です。
離檀してまで改葬を望む、という人は、お寺にとっては非常識かつ非礼きわまりない人かもしれません。
しかしじつは、そうした人々の大半は、伝統儀礼を大事にしたいと願う良識的な人なのです。
いまのお寺は、お釈迦さまの教えを聴きたいと願う人たちをみすみす逃し、「親戚の手前、お坊さまくらいは呼ばないと……」、「先代も院号だったから、無理をしてでも院号をつけてもらわないと」など、お釈迦さまの教えとはほど遠く、権威や体裁を気にかける人々のみを歓迎するような矛盾した構造になっています。これを私は、〝寺檀関係のネジレ構造〟と呼んでいます。
⇒ 「離檀料を請求されたときの話しかた」
日々生きることも辛く、仏教の教えにすがりたい!と心底願う人がお寺から離れていってしまい、逆に、死んでしまいたいほどの悩み苦しみはなく、むしろこの世のしがらみや体面を繕いながら「嫌われずに生きたい」と願う人が、現状では「お寺にとって都合のいい檀信徒」になっています。
「せめて親戚の手前、葬儀にお坊さんくらいは呼びたい」という願いは、ある意味、この世のしきたりや姻戚関係に気を遣っての発言ですから、伝統や祖先を大事にしようという気持ちの表れかもしれません。しかしそのためのお布施が心から差し出されるものではなく、「しかたがないから捻出する」ものになっているとするならば、お釈迦さまなら「そんなことに固執してもしょうがない」とおっしゃったことでしょう。
墓や法名(戒名)の格や院号に固執するのも同じこと。
たとえば、「本堂改修のとき、うちのおじいちゃんは何百万円のお布施をした」という事実に末代までとらわれ、「だからあなたの代でも恥ずかしくない金額をお布施しなさい」と親から言われる、といった日本仏教界にありがちな慣習をお釈迦さまが耳にされたら、どんなに嘆き悲しまれることでしょう。
いつもこの点を念頭に置いていただければ、宗教法人の運営方針が間違った方向にいくことはないでしょう。
どんな小さな町にでも、貧困で苦しんでいる人、学校へ行きたくても行かれず部屋にこもっている児童生徒、働きたいのにうつで身体が思うように動かない若者がいるはずです。
彼らこそ、お釈迦さまの教えによって本当に救われるかもしれない人たち。なのに、どうしてお寺へ相談に来ないのでしょう?
☑家族経営で若い娘もいるのに、刃物を持っているかもしれない精神を病んだ人に出入りされては困る。
☑行き場のない人の相談に乗っていたら、何日も寺へ寝泊りされ、檀信徒からクレームが来るようになった。
☑心の悩み相談に応じるスキルがないので、相談を受ける自信がない。
しかし私は、ある宗派の会議でキサーゴータミーの逸話が話題になったとき、青年僧のこんな発言にハッとさせられました。
キサーゴータミーの逸話で、お釈迦様はじつは何もしていません。傾聴もしていなければ、死が誰にでも訪れるという説教を直接したわけでもない。幼いわが子を失ったキサーゴータミーを変えたのは、彼女が訪ねた一軒一軒の家々の人たちの“それぞれの死別のエピソード”であり、お釈迦さまの説法ではなかった。
上から下への説法ではなく、同じ立場の人たちからのエピソードによって、彼女は“自ら気づいた”のです。
諭されたのではなく、自ら気づいたからこそ、すぐに入信したのです。
見ず知らずのかたをお寺へ招くのは家族が嫌がる、ということならば、お子さまがたが自立されてからでもいいと思います。
お寺にいらっしゃるのが寺庭さまだけの日も多く、知らない人が訪ねてくるのは物騒だというのであれば、町の集会所で井戸端会議をしてもいいでしょう。
「檀家でもない人に手厚く手をさしのべるな」と総代さんに言われたら、仏教の教えは限られた人のためのものではないことを伝えましょう。
10年後を見据えるなら、誰に手をさしのべていかねばならないのかを見極めることから始めましょう。
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