弁護士(簡易裁判では司法書士も)は、訴訟代理権を持ち、“トラブルが現に発生している場合”に対処をする専門家です。
これに対し行政書士は“法廷に立たない”法律隣接職であるのが最大の特色です。
案件が裁判所へ移行してしまうと弁護士等の他士業者へ顧客を委ねなければならないので、つねに“公平性を念頭に置いて”、トラブルが発生しないよう配慮しながら業務を遂行します。
すべての法律家がそうではないにせよ、訴訟を専門とする士業のかたが作成される遺言書、契約書では、「裁判で勝てることを念頭に」作成されたと感じられる書類が見受けられる場合があります。
すなわち、依頼人に不利益が生じないことに重点を置くあまり、相手方や関係者にとって不利な条項を黙認しているケースがあるのです。
いっぽう、行政書士の作成する遺言書・契約書は、法廷に立つことができないというその業務の特殊性から、依頼人のみならず、相手方・関係者双方のバランスを重視し、公証人らの専門家と相談しながら“将来トラブルが発生しないところに力点を置く”という傾向が強いところにポイントがあります。
ですから、相続を“争続”にしたくないかたの遺言書作成などに長けている、といえます。
明治初期には、「代言人」といって、現在の弁護士・司法書士と代書屋的存在の「行政書士」とをひっくるめた法律分野の専門家が存在しました。
やがて、代言人は国家資格となり、全国試験が課されるようになりました。
明治19年に旧登記法が制定され、「登記制度」が開始されます(この時点で、登記業務は代言人がしていました)。
明治26年には「旧弁護士法」ができ、「代言人」のなかから訴訟の専門家たちが「弁護士」として分かれていきます。
さらに、大正8年には「司法代書人法」ができ、訴訟書類の作成と登記書類を専門にしていた人たちが、一般の代書人から分派していき、現在の司法書士へとつながります。
ここが、現在の「司法書士」と「行政書士」の分かれ道です。
戦後になって、GHQによる民主化政策と資本主義による経済発展が望まれるなかで、カール・シャウプ使節団によるシャウプ勧告によって税務を代行する者の資質向上が叫ばれました
つまり、弁護士のように刑法民法憲法ほか幅広い法律知識と高い倫理を要求される専門家とは別に、税務知識だけを特別に究め修得した税理士試験合格者を大量輩出することで、来たるべき急速な経済発展に伴う収税事務の負担に対応しようとしたのです。こうして、納税者の利便をはかり、納税官公署のスムーズな業務遂行を果たすための理解者・協力者として、現在の「税理士」が出現します。
このように、「代言人」でひとくくりであったところに、弁護士法、司法書士法、税理士法・・・・・・と、数々の専門分野が出現してきたわけです。
しかし、それらの士業のもとへ専門化されない役所への申請業務(いわゆる許認可業務)も数多く存在し、また戦後の経済発展に伴って新たな許認可も多数出現してゆくことが予想されました
こうしたなか、それらの許認可業務をかつての一般代言人的存在の無資格業者にゆだねることなく、国民が安心して申請業務を任せられる存在として、国家資格としての「行政書士」の役割が位置づけられました。
弁護士、司法書士、公認会計士、税理士等々の専門分野と抵触しない、いわば「あまりの部分」を担当する士業を「行政書士」と名づけたので、その業務をひとことで言い表すことは非常に困難です。
しかも、「裁判所や法務局、税務署以外の役所への申請業務」のほか、契約書や会社定款といった「権利義務又は事実証明に関する書類」も作成できるとされたため(行政書士法第1条の2)、ますます業務範囲がわかりづらくなっています。
「権利義務に関する書類」とは、平たくいえば、「契約を結んだ(法的な約束をかわす)ことを示す書類」と考えればよいでしょう。