宗教法人を設立するために、まずは宗教法人法の定める内容に合致する「規則」を作成します。その規則を所轄庁(都道府県庁。複数の都道府県にまたがって境内建物を備える場合や包括法人の場合は文化庁)に「認証」してもらえば、宗教法人の設立登記ができるようになるのです。
規則を認証してもらうだけですか! 規則ならありますよ。先代住職が宗門の雛形をそのまんま利用したものを遺してくれています
いかに規則があっても、相当数の信者がいて、宗教活動を行っていなければ話になりません。
宗教法人法は、宗教法人の定義を「 宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする団体」と定めています。
所轄庁は一定期間のあいだ活動の様子を聞き取りし、現地調査もおこなって「たしかに儀式行事を行って多くの人から慕われ、教義をひろめ、宗教法人としてふさわしい活動をおこなっている」と認めなければ、認証申請書を受け取ることさえ、してくれないのです。
地域によってだいぶ差はありますが、首都圏ですと「宗教法人を設立したいです」と所轄庁の担当部署へ申し出てから、おおむね3年が経過したあと、ようやく認証申請書を提出することができます(地域によっては、1年程度で可能なところもあります)。
そんなに長くかかるんですか。よし、思い立ったが吉日。3年もかかるとわかったならば、なるべく早いうちに、申し出だけはしてしまおう!
ちょっとお待ちください!
ご存じのとおり、ひとたび宗教法人になれば、宗教活動のために使う土地建物には固定資産税がかかりませんし、宗教活動によって得た所得も非課税となります。非常に大きなメリットですが、他の納税者からみれば、不均衡にもなりかねません。
昨今、通信教育や1週間に満たない短期の修行でも僧籍を取得することができるケースも散見されます。宗教者の資格があるというだけで、一定期間が過ぎさえすれば認証を出すというわけにはいかないのです。
経過期間中は、年に数回、事業計画や事業報告、催しの開催記録などをチェックされます。自主的に儀礼をおこなって教義を伝えようとはしているけれども、毎回10人前後しか集まっていないというのでは、経過期間にカウントしてもらえるとは思えません。
ある程度の人数の信徒が集まっている催しの写真を提出できるようになってから、所轄庁のいう一定期間、定期的に報告を続ける必要があります。
宗教活動が一定規模以上になった場合、法人化しなければならない最大の理由は、引継ぎ問題の解決です。
宗教活動の主宰者とて、いずれは高齢になります。血縁(法定相続人である子など)に継いでもらうのならば法人化しないで相続してもよいのですが、相続人以外のどなたか有望な人に跡を継いでもらおうとするならば、法人化しておかないと、財産の承継がうまくいきません。
宗教活動を維持またはひろめるために蓄えた祭祀や基金も、個人事業主のままであれば、代表者個人の相続財産になってしまいます。お子さんのうち1人に継いでもらおうとすれば、他のきょうだいが「遺留分」を請求してくるかもしれません。お子さんもごきょうだいもなく、配偶者のかたも先立たれていて法定相続人がいない状態ですと、国庫に納まることになってしまいます。
先述した税務上のメリットも大きいですが、節税目的で法人化を望むのではなく、あくまで地域の人々に安寧を与えようという公益性がなければ、認証までの道のりは遠くなるでしょう。
財産も継がせることができ、税務上もメリット大。
信徒が集まるなら、法人化しないテはありませんね⁉
そうとも考えられますが、 定期的に責任役員会を開かなければなりませんし、毎年の事業報告も、所轄庁へ提出しなければなりません。
それより最も大きな障壁は、自由闊達な宗教活動のさまたげになる場合もある、ということです。
法人になれば、代表者一人の独断で何もかも事を進めてこられた従来とは異なり、責任役員会の決定がなければ何もできなくなります。
一例を挙げます。地域の中堅寺院(宗教法人になっています)の副住職である 「憂う僧」さんは、 3・11のあとテレビの報道をみて居ても立ってもいられなくなりました。支援物資を運ぶボランティアを行いたいと考え、休暇のたびに炊き出しボランティアに出かけていました。
その様子をFacebook(SNS)で報告したところ、檀家総代の知るところとなりました。
私たちのお布施や管理費は、われわれ檀家の先祖代々の墓を無事に守っていただくためのもの。縁のない遠い地域の人たちのために使われるのは困るという声が、たくさんの檀信徒から聞こえていますよ
えっ。私は、宗教法人〇〇寺から毎月いただく自分の給料のなかから、新幹線代も炊き出しの費用も捻出しているのですが……
その給与とやらは、われわれ檀家が納める管理費やお布施から出ているんじゃないか
おっしゃる通りですが…… 私は、一宗教者として、黙って見ていることはできなかったのです
宗教者は本来、「観ずるままに」、瞬時に行動しなければならないと思います。
目の前に困っている人が見えたら手をさしのべる。それこそが、慕われる宗教者のはずです。
しかしながら、寺請け制度により「檀家の、檀家による、檀家のためのお寺」でしかなくなってしまった現状の伝統仏教寺院の場合、住職であれ副住職であれ、檀信徒の財によって生活を支えられているために、NOとはいえない状況に置かれていることは大きな課題でしょう。
お釈迦さまは、僧侶がなにものからも縛られないようにするため、蓄財できるものを布施されることを禁じました。
お釈迦さま存命当時、僧侶は泥で染めた袈裟だけを身につけ、金銭はおろか、煮炊きしたものも受け取りませんでした。
数日蓄えることができる食材をもらえば、貧富の差異を生むからです。
目の前の困った人の話を聞き、手をさしのべ、ともに考え、お礼としていま・ここで食べられるものだけを布施としていただく。
それが、本来の仏教のありかたでした。
もっとも、宗教法人法に、責任役員をどのように選出しろという定めはありません。
株式会社であれば、一族だけで役員を固めると株主から異論も出ましょうが、どのように責任役員を選ぼうと自由なのです。
所轄庁は法の定めによってしか厳しいことを言いませんので、 出入りの業者さま(石材店や、エアコン修理を依頼している業者、門前の饅頭販売店など)のように「NOとはいえない人材」で責任役員を固めていらっしゃる宗教法人さまも少なくはありません。
しかし、それでは一般の営利企業よりも、公平性に欠けてしまいます。
公益に資するから、所得税も固定資産税も非課税という大きな利益をいただいているのに、ご自身が自由闊達であろうとするがため、逆に民の自由闊達な意見を入れない役員構成にしてしまうというのは、長い目で見れば、慕われる方法ではありません。
宗教家として自由闊達に生きる――そのことを最優先とするならば、あえて法人にならないことを選択する道も、なくはないと思います。
任意団体でも宗教活動をすることはできます。
自治体にもよるのでしょうが、宗教団体のままでも、税務署に「給与支払い事業所の開設届」を出し、僧侶資格の認定証を提出するなどして事情を説明すれば、非営利型のNPO法人などと同じように法人住民税の免税処理をしてもらえている事例があります。(活動収入が営利目的ではないお布施収入のみであることが条件となるようです)
その団体からご住職が給与を得た場合に、所得税がかかる点については、宗教法人になってからもおなじことです。
先の「檀家総代」と「憂う僧」とのやりとりで、抜け落ちていたのは「教化」です。
居ても立ってもいられない事態が起こったら、たとえ遠方であろうと飛んでゆくのが宗教者のあるべき道である、ということを檀家総代や檀信徒に伝えつづける努力を、日ごろからしておくべきでした。
そうはいっても檀家は葬式しかしない先代住職を慕っていて、副住職の自分など信頼されていない……
お悩みは深そうですね。
一般の檀信徒のかたがたもきっと、世代間の考えかたの違いに苦悶されているかもしれません。
檀家総代さんのお子さんやお孫さんのなかに、生老病苦を抱えているかたがいらっしゃらないか、耳を傾けてみませんか。
ひきこもりやニートのかたは、いらっしゃらないでしょうか。
被災地のかたも大変だろうけれど、われわれだって、日々思い悩んで苦しんでいるんだ――。
総代さんが伝えたかったほんとうのことは、もしかしたらそのようなことなのかもしれません。
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