震災後の「ご遺体なき別れ」のありかたについて、手元供養協会の山崎譲二さんほかとお話しさせていただくなかで、ペットを喪った悲しみの鎮めかたについても考えるようになりました。
僧侶向け研修で、よく表題のような話をします。
字面だけ見るとショッキングな話ですが、じっさい同居もせず同じ仕事もしてこなかった親子関係が増え、血はつながっていても、艱難辛苦をともにしたという経験はない家族が増えています。
自営業であれば、「親が死んでようやく自分が経営主になれる」わけですから、悲しい反面、ようやく自分の思うとおりにやれる時代がきたということになり、悲しい反面、ほっとする面もあったわけです。親が死んだのに悲しい反面、どこかでほっとしてしまう――その矛盾する気持ち、苦渋に満ちた気持ちを癒やすため、一周忌、三回忌、七回忌……三十三回忌といった長きにわたる供養が必要とされた面もあろうかと思います。
ところがいま、サラリーマンが多数の時代となり、多くの人は、親がしななくても部長や課長になれてしまいます。「親の葬儀を出してこそ、一人前」という時代ではなくなったのです。
18歳前後まで、つまり食べさせてもらっている間だけ同居し、その後は別に暮らして別の背景で仕事をし、つぎに親子が密に、たとえば週に一度とか月に一度向き合うようになるのは、病気になったときか介護になったときです。
親の側はすでに「介護される側」、「看病される側」であり、健康で対等な大人どうしとして議論したり、意見をたたかわせる場面はないまま、数年~10年以上にわたる闘病・介護を経ることも少なくありません。
このようなケースでは、人間の葬儀は「お疲れさま」という場面になります。以前のように、「いろいろ意見もたたかわせたが、教わるところも大きかった。でもこれからは自分が当主として責任を負う時代になる」と、悲喜こもごも複雑な思いに充ちた葬儀とは、状況がおおきく異なります。
何年もあとまで供養をするというより、精神的にも経済的にも疲弊しきって、「回忌法要にお金はかけられない」という状況になっている場合も少なくないでしょう。
対してペットは最期の瞬間まで同居しています。
子や親族に語れなかったさまざまな悩みを語りかけたこともあるでしょう。
またペットは人間が100%世話をかける相手です。
「あのとき苦しそうに足をひきずっていたのに、私がお友達との約束を優先して、すぐに病院に連れていかなかったせいで亡くなってしまったんだ」など、悔恨も残ります。
人間の子どものようにグレたり、文句をいったりすることもなく、いつでもわれわれの話を黙って聞いてくれます。
それだけに、そのいのちが尽きたときの喪失感は、自責の念も伴い、ときとして人間同士の死別よりずっと重くなり、グリーフ(死別の悲しみ)が数年に及ぶケースもあります。
ペットのための火葬を行う斎場も増えています。
また、ペットとともに入れる墓地も少しずつですが見られるようになりました。
儀式を執り行い、火葬したり、墓地に眠らせたり、人と同じように手厚く葬ることで、ペットをめぐるグリーフ(服喪の気持ち)が和らぐ手助けとなることがあります。
ペットと一緒に入れる樹木葬墓地なども出てきています。
なお、宗教法人がペット供養を新たに開始しようと検討される場合でも、現状では、「収益事業」として課税される可能性が高いので注意が必要です。
ペットの供養は宗教行為に当たり、謝礼は非課税とするべきだとして、愛知県春日井市の宗教法人「慈妙院」(渡辺円猛住職)が、小牧税務署長を相手に課税処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が7日、名古屋高裁であった。
【参考判例 H18.3.7 名古屋高等裁判所判決】
野田武明裁判長は「ペットの葬儀、遺骨の処理などの行為は収益事業に該当する」として、課税処分を適法とした1審・名古屋地裁判決を支持し、慈妙院側の訴えを棄却した。
判決によると、慈妙院は1983年ごろから、犬や猫などのペット供養として、読経や火葬などをした際、動物の重さや火葬方法などに応じ、飼い主から8000円~5万円の「供養料」を受け取った。また、墓地管理費を徴収し、墓石や位牌を販売した。
慈妙院は、「人の供養と同じ宗教活動だ」として、所得を申告していなかったが、税務署側は、営利目的の収益事業に該当するとして、2001年3月期までの5年間で、無申告加算税を含めて約670万円を課税した。
ペット供養は「収益事業」、課税は適法
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