スマートな隠居を、あらゆる世代へ

葬儀と供養

ひとりで去るのは寂しい。
仲間が死んだら葬式くらいだしたい!

住民の思いが集結して、自治会葬をはじめた東京立川の都営住宅(通称:大山団地)が注目を浴びています。
紹介記事は、こちら

拙著『聖の社会学』でも書きましたが…

死ぬときのお金の心配は、しなくていいのが当たり前

なんです。

ところが、ここで私はふとギモンに思いました。
なぜなら私は小1から中3まで高島平団地に住んでいましたが、

当時は高島平団地でも、ふつうに自治会葬をやっていた!

んですよ。
団地のなかでも大きな棟の1F部分は集会所になっていて、
日ごろは書道教室や絵画教室として使われているんですが、
空いている日の夜にはときどき、通夜・葬儀が行われていました。

宮型霊柩車が来ることもありましたが、40年前当時、
それを「線香臭い」といって非難する声はありませんでした。

しかし今、こうやって自治会葬をやる団地が脚光を浴びるということは…
いつしか反対運動でどこの自治会も葬儀をやることと禁じるようになり、
きっと高島平でもやっていないということなのでしょう。

でも、たったの40年前ですよ。

余裕のある人は葬祭ホールで葬式をやって、お金に余裕がなければ自治会で葬儀をやればいい。
そう、まさに「死ぬときのお金の心配は、しなくてよかった」時代と思います。
そういえば……地方都市の下関ですが、20年まえに亡くなった伯父の葬儀も、集会所での通夜でした。

いまは、マトモな社会への折り返し点

ドリフの全員集合がなくなったころから、落ち着きのない生徒には病名をつけて〝通級〟させるようになり、病気や死という、誰にでもいつか訪れるハズの、でも〝効率と成績を気にする社会では、あったらちょっと困ること〟を忌避するような社会になってきたように思います。
全員集合があったころは、全国どこのクラスにも志村けんがいて、高木ブーがいて、加藤茶がいる、ということが許容されていましたから。

そしていま、自治会葬が見直され始めたということは、ここがまさに折り返し点なんじゃないかと。
葬儀のときのお金の心配など、しなくていいのが健全な社会です。

まともな葬儀供養を、取り戻していきたいものです。